GIRIGIRI☆BOYS

ストーリー


断酒5年生になりました。どーもバソです。


今回はお酒の失敗ではなく、私が高校生だった頃の青春ストーリー。

私は中学の時に大学に行こうと思っていたので、高校は自ずと大学進学コースのクラスでした。しかし、高校生活が始まってソッコーで「美容師」に憧れ、大学へ行かない選択をしたのです。(詳しくはこちら

なので、ほとんど勉強なんてしませんでした。この大学進学コースである普通科に入ったことが、私の高校生活をこれほど苦しめるのか…というのは高校最初のテストで知ることとなります。

ホントに受験勉強なんて興味がなくなった私が、大学進学を目指す者たちのクラスにいるわけですから皆とベクトルが違うのは分かってもらえるでしょう。

テストの成績は、最初のテストだけケツから3番目でした。確かそれからはぶっちぎりのキープオン最下位でなんとか卒業しました。この卒業する事がここまで難しいとは。。思ってもみなかったです。なにせ単位を取るのに追試の嵐。合格点である4割の点数なんて高得点をとれるはずありません。追試の追試で泣きの追試…

先生も、どーせ大学行かない落ちこぼれにかまってる暇などありませんので、終いには答えを見ながらでもOKな追試スタイルへ。答えを写すだけの作業でなんとか進級~卒業に至ったわけです。

0点という点数を取ったのも高校に入ってからの初体験でした。マンガの世界だけだと思ってたのが現実に、しかも自分に降りかかってくるとは…なにせ点数の足しになりませんからねぇ。ちょっぴりへこんだ後、自分でも笑ってました。

40点なんて遥かに遠い彼方にいってしまって、その半分、もしくは二桁に到達する事が目標になっておりました。


そんな私の高校3年時の学年主任の女性の先生との面談の際、ある事を指摘されました。

専門学校への進学を早くに決心していた私は、先生にもその事は伝えてあったので進学の話はスムーズに終わりました。しかし…今度は別の問題があるとの事。ドキドキワクワクしながら聞いていると、


「あなたは遅刻が多すぎる。」

「調べた所、歴代ダントツで多いよ!!一番よ!!」「2年生の時一年で167回ですよ!!」

と、(167か169回だったと思う)

私は「一番」というその響きだけで有頂天になっていました。しかもダントツですから!このときスゲー興奮していたのを覚えてます。

そういえば2年のクラスでは、私の遅刻を何とかしようと思ったのか、遅刻3回/月で席が一番前になるという決まりを作って、1年間ずーっと前の席をキープしていたのを思い出しました。

最初は「一番前嫌やな~」と思ってましたが、結局一番前が一番寝れる事を知ってからはかなり気に入ってきまして、相当ベスポジでもあり、私だけ席替えという儀式は関係ありませんでした。

当時の私は時間にとてもルーズでして、いつでもギリギリ、もしくはアウトでした。これが、後に誕生するGIRIGIRI☆BOYSの一員としての所以であります。

チョー懐い話ですが、当時深夜枠のTV番組でギルガメッシュナイト(略してギルガメ)っつうエロい番組がありまして、男子は夜な夜な見ていたわけであります。その番組に、GIRIGIRI☆GIRLS(ギリギリガールズ)というセクシーグループがレギュラーで出演していたんです。そこからヒントを得て、私の弟世代が時間にルーズな野郎共を総称してGIRIGIRI☆BOYSと名付けたのでした。


学年主任の先生にそのように注意された私は、反省するどころかむしろ誇らしい気持ちになったのでした。一年365日として、せいぜい通学する日数って200日程だと思うのですが、そのほとんどが遅刻って自分でもビックリしたので「スゲーなぁ~」「よくがんばった」と思えました。

3年生の時は残念な事にこの自分の記録を超えることができないまま卒業する事になってしまいました。だがしかし!歴代堂々ぶっちぎりNO.1はとうてい誰も破ることのできない大記録として語り継がれる事と思っておりました。



2年後。。。




私の実の弟が200回に迫る大記録を残し、あっさりと記録は塗り替えられたのでした。

おしまい。



200回ってもうほとんど100%遅刻じゃね~かよ!!コノヤロー!!


今でも兄弟でワンツーであってほしいと願うバソなのでした。



それでは、また会いましょう。

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