断酒5年生です。どーもバソです。
今回は、前回予告した【番外編】になります。
前回、「エロチラシ詐欺」の話題を書いていたトコロ、ふと私の「大阪時代」の思い出がよみがえって参りまして、「これは書き留めておこう!」という思いから今回の番外編に踏み切ったのであります。
(前回の投稿はコチラ↓↓読んで頂くと話がよりスムーズになりますよ)
さてさて皆さん、ゴールデンウィークいかがお過ごしでしょうか?
美味しいお酒と共にハッピーになってますか?
私はこの時期が来ると、
「断酒してまた一年経つなぁ」
と感じます。
断酒した日をいつの間にか忘れてしまい、ざっくりゴールデンウィーク明けとしか分からないのですが、もうすぐ断酒歴5年の断酒6年生になるのです。
断酒始めの頃は1日、1週間、1カ月と数えていて、飲酒欲求もすげぇアリアリだったので、2年程はかなり日常的に意識してました。
それがいつの間にやら安定しだし今に至るのですが、やっぱりこの時期だけはどうしても意識してしまいます。まだ完全に飲酒欲求がない訳ではありませんので、時折グッとくる感情を抑え葛藤する事もしばしばな今日この頃。
そんな状況の中書き出した、前回の「エロチラシと田舎者」で思い出した純情な感情にフォーカスしてみましょう!
今から25年程前、20歳頃のバソ野郎。大阪で初めての一人暮らし。
1K(10畳)の部屋で飲んだ「薩摩白波」が物凄く衝撃的でした。
初めて芋焼酎を口にした感想は、麦のそれとは全く違うインパクト十分でして、モワッとくる癖のある風味にたまらず…
「なんじゃこりゃ⁉︎」
「まずい・・・」
何故か一升瓶で購入したソイツを、すぐさま部屋の隅に追いやりインテリアに。初めての体験以降とうとう口にする事は無かったのです。なので、再び芋焼酎に手を出すにはハードルが高く、なかなか取っ付きにくかったのを思い出します。
そんなだった私も飲酒時代後期(病的酩酊期)には芋焼酎愛好家になる訳ですが、第一印象は全くのダメダメだったのです。最終的には「ガツンとくる芋じゃないと…あの癖がないと…」てな具合にどハマりするのですが、いやはや人ってどこで変化するかなんて分からない不思議な生き物ですよね〜。
皆さん、時には思い切っていつもとガラッと変えちゃいましょうよ!
なのであります。
そうそう、変化と言えば「お好み焼き」、「たこ焼き」に対しても大阪で印象が変わったモノの一つになります。
噂には聞いていた
「お好み定食」
大阪で「お好み焼き」は、立派なおかずという立ち位置でした。これにもビックリ!&やっぱり!
お好み焼きをおかずにご飯という組み合わせを試した事すらない私は最初こそ戸惑いましたが、すぐにおかずになると理解できました。でも、不思議に思ったのは兄弟分である「たこ焼き」のあり方についてでした。
コテコテの大阪人である先輩に、
「たこ焼きでご飯食べないんですか?」
そう質問すると。
「あほかっ!」
どうやらたこ焼きはおかずにならないらしい…どちらかと言うとオヤツ感覚なんだとか…
う~ん、ワタシチョットワカラナイヨ!
そういえば…私の住んでいた区内には、個人が営むたこ焼き屋がたくさんありまして、イメージとしては、昔のタバコ屋みたいに自宅の一部が窓口になっているような感じ。駄菓子屋的存在で値段も安すぎる!(当時で10個200円切るぐらいでした)
そしてそして、立ち飲み屋の多さにもビックリ!
酒屋のほとんどは夕方から立ち飲み屋というスタイル。
仕事を終えた方達の憩いの場といった空間で、ちょっとしたおつまみ、缶詰、乾き物等で一杯やるのが定番なのでしょう。阪神タイガース戦で盛り上がる店内を何度かチラ見した事はありますが、根性無しの私は結局突撃できずでした。
他にも先輩からはこんなモノも教わりました。
それは・・
「天下一品」
略して 天一(テンイチ)
そして…先輩がこよなく愛する「こってりラーメン」
当時は正直ピンと来なかったというのは内緒の話。ですが、今では大好物のこってりちゃん。コレはもう定期的にいただかないとイケナイ身体になっちゃいましたYO~!こってり信者バンザーイ!(※こってりラーメンで毎回口の中を火傷するのは普通なんですかね⁉どうなの?口内がベロベロです)
それにしても、実家から車で行ける範囲に「天一」があって良かった!
さらにラーメン繋がりで思い出すのが、足繁く通った町中華の存在になります。
会社から徒歩数分。お昼になんとなく入ったそのお店が、私の癒し空間になったのです。
何気に入ったその日から、通うこと数回。店主と会話したのがきっかけで、田舎育ちの私をえらく気に入ってくれ、通う度にサービス増し増し状態になっていったのです。
お昼ワンコインでこれでもかな種類やボリュームで食べさせてもらいました。店主は予め苦手なモノはないか?とチェックしてくれましたし、〆には素敵なデザート付き。杏仁豆腐やフルーツポンチをいただきました。
店員さんとの会話にも癒され、あっさり虜になった私は週3以上通うようになったのです。
そんな大阪生活も決して良い思い出ばかりではありません。カルチャーショック、恥ずかしいハプニングも沢山あります。
(※ここからは、一般的にインターネットも普及していない、まだ初代プレステだった時代を想像して下さい。さらに田舎育ちのバソ野郎だということも…)
例えば・・・
- 地下鉄、電車がややこしい(当時、自動改札も地元には無い)
- 駅の出口が分からん(人混みに適当について行く)
- 混雑時、とめどなく押し寄せる人波
- つり革を使わないツワモノが沢山いる
- エスカレーターに謎のルールがある(左側を空ける)
- 車を運転中、乗りたくもない高速に乗ってしまう
- 車を運転中、左折して逆走しかけた(曲がったら4車線道路で車が全部コッチを向いていた為気付く)
- トイレ使用不可のコンビニの存在にビックリ(ちょろっと尿漏れアリ)
- 喋っているとやけに注目される(訛りのせい?)
- 路地裏に入った途端ヤバ目の雰囲気に変わるエリアがある
- みんなチャリの運転上手すぎ
- やたらとバイクが多い
- 団地がでかすぎる(結構ビビりました)
- 美容室で大阪人になりすましエセ関西弁で挑むも失笑される
とまぁこのように有難い体験をさせて頂いた大阪に感謝しかありません!
中でも特に印象深いのは・・・
修行先である会社の従業員が熟女まみれの、正に熟女パラダイス♡
私がまだ若かったせいか、男として相手してもらえない悔しい気持ちがそこにはあり、制服姿のヒップラインを密かに凝視していたなんて…恐らく誰一人気付いてないでしょう。そして、一人のシングルマザーに恋心を抱いていたのも誰も知らないはずです。(思い切って告白したらええやん!)
なので会社の懇親会のカラオケでは、ここぞとばかりにアピールするべく、狂ったように熱唱したSMAPの「セロリ」
つまりは単純にカッコつけたはずが…
全員ドン引き・・・やっちまった!
なんて事もありましたねぇ。
(どうやらこの頃にはすっかり熟女&お尻好きの性癖が定着していたみたいです)
他にも、アメ村付近のクラブイベントでも唖然とする事に…
なんと!選曲がほぼ「ハイスタ」のみ。当時を物語る選曲でして、たま~にギターポップなサウンドが流れる程度の「ハイスタ祭り」DJイベント。
同じ曲が何度もかかり、お立ち台ではイケイケギャルが狂ったように煽り散らし、熱気ムンムンな光景に、なんだかどっと疲れてしまい、あまりグッと来なかったのもいい思い出です。
なんやかんやイロイロ体験しましたが、
そんな大阪生活はたったの1年程で終了する事に…
バソ野郎の修行は短い幕を閉じたのであります。
休日は毎週のようにアメ村に通ったせいか、修行そっちのけで音楽、ファッションに刺激を受けまくり状態に陥ったかと思えば、仕事をサボって小遣い稼ぎのパチスロを打つ始末。そしてついには退職を決意。
「会社を辞めてもココに住みたいです」
そう申し出るも、「バソがここで万が一問題を起こすと困る」というごもっともな理由で、泣く泣く帰郷するに至ったのでした。
実家に戻ってからというもの、最初は家業の手伝いをして過ごすも、やはりズルズル遊びほうける日々に逆戻り。
ここから飲酒量もじわじわ増えていく訳ですが、依存症になるのはまだ先の話。
バソ、20歳のストーリー・・・
おしまい。
【追記】
大阪でお世話になった社長の提案で、私自身初めての正社員としての初任給で両親、祖父宛てにプレゼントしたのですが、メチャメチャ喜んだみたいで、父はボロボロになるまで「くいだおれ太郎携帯ストラップ」を使用してくれましたし、母にあげた「ブローチ」もとても大切に身に着けてくれました。
そして祖父は、一張羅で出かける際には必ずプレゼントした「ループタイ」を身に着け出かけるようになり、亡くなるまでの間とても大切にしてくれました。
スゲー嬉しかったなぁ・・・
(↓↓これが思い出のループタイ。今は父が引き継いでます)
社長をはじめ、店長、従業員の皆様。そして、出会ったすべての方々に感謝します。
本当にお世話になりました。
そして会社を辞めて数年後…
大阪の大学に進学した後輩のアパートを訪ねるべく一路大阪へ。
すると・・・
ありました、ありました!
それはそれは几帳面に・・・
大切に・・・
ケースに保管された・・・
エロチラシ♡
ええやん、ええやん!
〈完〉
それでは最後にこんな曲をお届けします。
解散してしまった大阪のバンド
「DETERMINATIONS」で、
(デタミネーションズ)
『MANGO ROCK』
それでは、また会いましょう。
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